修験道あるがままに➀: 若き日の師の言葉に心が晴れる
本, 田中利典
によって 田中利典
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金峯山寺の田中利典長臈の処女作です。この本は田中利典師が20代~30代にかけて7年の歳月を費やして書いた短編エッセイ集です。平成四年に金峯山時報社から出版された田中長臈の処女作『吉野薫風抄』のリニューアル版であり、原著をテーマごとに五分割し、最近の加筆も加えて、電子書籍化されたものです。「私の著述はたくさんあるが、自分の中では最高傑作が処女作だ」と著者自身が語るように、若き日の師が山と修験道と山伏について、純粋で透明な感性で綴っています。山や登山が好きな方、修験道をやっている行者さん、またこれから修験道をやってみようと思う方、仏教各宗派の僧侶、そして自身の人生を変えてみたい方に、ぜひ読んでいただきたい本です。あなたが、もし、今、自身の人生につまづき、悩んでいるなら、この本のページをめくるごとに心にかかる霧が晴れていくのではないでしょうか。著者は、あとがきに以下のように書かれています。私の愛読書『吉野薫風抄』がテーマごとに五分割するなどをして、追録も加え、大幅にリニューアルされて電子書籍となった。感激ひとしおである。自分の処女作を愛読書などというのはおかしな奴だと思われるだろうが、ほんとうに本書は私の一番の愛読書なのである。今回も電子書籍化に当たり、久しぶりに読み返した。気恥ずかしい文章もあるけれど、正直、恐れ入った。私の言いたいこと、書きたいことが見事に、それこそもう30年以上前に書いているのだ。 私にとっての、ここ30数年の活動はまさに「祭り」であった。その祭り騒ぎの日々を生き抜いてこられた原動力は本書で語っている、たぎるほどの熱い思いである。講演や著作活動だけではなく、本山の宗門改革と活性化、金峯山寺・聖護院・醍醐寺の修験三本山大合同、役行者1300年ルネサンス、吉野・熊野・高野のユネスコ世界文化遺産登録、史上初・修験道大結集の執行、役行者霊蹟札所会発足、紀伊山地三霊場会議設立、吉野=高野弘法大師の道プロジェクト、日本最大の霊場・神仏霊場会の活動などなど、身の丈を超えるたくさんの企画や事業に従事し、それなりに成し遂げてきた。平成27年の春に、私は金峯山寺の宗務総長を勇退した。勇退というと聞こえがよすぎるのだけれど、私の"金峯山寺祭り"の第1幕が下りたのだ。それから4年、平成という御代の終わりに、次なる新しい祭りに向かおうと思っている。それは、自らの見性のために…。金峯山修験で、不可思議な宿縁で結ばれた青木実秀師によって再び世に出ることとなった本書の電子書籍化は、それを私に強く促しているように思えるのである。宗教学者 正木 晃教授からの推薦の言葉(抜粋)空海によれば、「文の起り必ず由有り」という。人が文章を書くのには、必ず理由があるという意味だ。 また、 「人感ずるときは筆を含む」ともいう。 つまり人間はなにかに感動すると、文章を書きたくなるものらしい。かくして誕生した第一作には、その作家のすべてがある。文学の領域では、よくこういわれる。たしかに大作家の第一作を読むと、技術の巧拙は別として、その人の特徴があますところなく、あらわれている。宗教の領域でも、同じことがいえる。宗教家の著述は、その第一作において、その人物の宗教人生がもっとも端的に予見されている。空海の『三教指帰』がそうであり、 最澄の『願文』がそうである。田中利典師の第一作『吉野薫風抄』もまた、そういう意味で、師の宗教人生を予見している。 おそらく田中師はこれから多くの著作をもって、 みずからの宗教人生を世に問うだろうが、そのほとんどは、ここに語られている主題を、時と場所に応じて自在に織り変える、いわば変奏曲になると私は想像する。いや、著作がどうのこうのなどは、小さな問題にすぎない。むしろ、 田中師の宗教人生そのものが、『吉野薫風抄』 に書かれた主題を、 まさに身をもって実践することになるにちがいない。それほど、ここに書かれた主題は重い。いつの日か実践されたとき、日本の宗教界を一変させるほどの力を秘めている。なぜかといえば、ここには日本における伝統仏教の真の姿が語られているからだ。田中師によれば、特定の祖師をもつ特定の宗派が、特定の教義にもとづいて、日本仏教を築きあげてきたなどというのは、まことしやかな虚構にすぎない。純粋な仏教というのも、近代化以降の学者や知識人が勝手につくりあげた幻想にすぎない。私もまったく同感である。では問おう。日本における伝統仏教の真の姿とは、いったい何か。それは、神も仏もわけへだてなく崇め、しかも、その神や仏を自然の中に見出すという信仰のあり方だった。 再び問おう。神も仏もわけへだてなく崇め、 しかもその神や仏を自然の中に見出すという信仰のあり方とは、具体的には何を指しているのか。その答えは、修験道である。すなわち、修験道こそ、伝統仏教の真の姿にほかならないのだ。疑問を抱く方のために、この事実を証明する数字をあげよう。明治初年の廃仏致釈や修験道廃止令にともない、職を失った修験者・山伏は、いったい何人いたか。その答えは、なんと十七万。僧侶の数が総計で二十二万という現代仏教の状況からすれば、想像を絶する数字というしかない。それくらい、修験道は日本の庶民大衆にとって重要だった。まさにかけがえのない存在だったのだ。もし日本の伝統仏教を再興するというならば、それはまずもって修験道の再興でなければならない。そして最近よく耳にするように、もし伝統文化の再興が、未曾有の危機にある二十一世紀の日本を救う道となるというのであれば、修験道の再興こそ、その最も確かな方途である。
ファイル名 : 修験道あるがままに-若き日の師の言葉に心が晴れる.pdf
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修験道について学ぶ、最高のテキストです。先生から直接教えをいただいているよう。深いけれど、優しい言葉で書かれているので、とても読みやすい内容です。
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